鳳 長太郎
校舎から少しばかり離れた中庭には、二羽にわとりがいる・・・・・・・・・じゃ、なく。扉を開け放たれた教会がある。
そして、その教会をグルリと囲むように植えられている樹々の間から今、調子はずれな鼻歌が聞こえていた。
その声音が醸し出す雰囲気から察するに、鼻歌を響かせている当人は相当機嫌が良いらしい。
やがて音が途切れ、少しの間を置いた後、彼は手に持ったブラシを動かすのをやめ、座り込んだ足の間に捕らえている人物の顔を後ろから覗きこんだ。
「動いちゃダメですよ?」
その言葉に軽く頷き、所在無さ気に肩を竦めたその人物は、顔を下に向けたまま背後の人物に気取られぬよう小さくため息をこぼした。
彼はそれにまったく気付く事無く、彼女が首を動かすのとともに揺れる長い髪をまた手に持ったブラシで梳きはじめた。
柔らかな木漏れ日を反射して光るブラシに目を眇めながら、彼は満足気に微笑を浮かべる。
「明日は、忘れずに持ってきますから」
彼が言っているのは、今朝玄関先に置いてきてしまったトリートメントのことだ。
昨日の祝日にわざわざ尋ねてきた彼の従姉妹が、すごく良いモノなのだと何度も繰り返し置いていった代物である。
「ジョンもサラサラになってすごくご機嫌だったんですよ」
飼い犬の名前を上げてその効果の程を示してみせる彼に、眉根を寄せた彼女が口を開こうと後ろを向くと。
「動いちゃダメですよ」
邪気の無い彼の、綻んだ笑顔が目に入った。
そして、彼女はまたため息を殺しながら前を向きなおす。
背後には、まるで飼い犬の毛繕いを楽しむかのような様子の彼。
少し複雑ではあるが気持ちの良いブラシの感触と暖かな陽光に、彼女は瞼が徐々に落ちていくのをぼんやりと感じていた。
「先輩」
声とともにブラシが自分の後頭部から去っていくのを感じた彼女が顔を上げると、彼はその衿元を後ろから丁寧に正した。
そして。
「大人しくしてたご褒美ですよ」
差し出されたのは購買で売られている菓子パンだった。
犬扱いされている感は拭えないが、これもまた彼の愛情表現なのだろう、と。
彼女はため息を殺しつつ、彼に見せるための笑みを浮かべた。
『毛繕い』
跡部 景吾
その日、男子テニス部の部室内には参加者4名が集まりトランプを囲んでいた。
中央に捨てられたカードは、もうすでに相当な数になっている。
それは、ゲームの終了が近いことを示していた。
「さっさと引けや」
急かすような忍足の言葉に、跡部は彼が広げた3枚のカードの中から慎重に1枚を引き抜いた。
そして手元へと持ってくると、サッとそのカードが持つ図柄を確認し口角を上げる。
彼が何かを告げようと口を開いた瞬間、揺れた視界の中に未だ減らぬカードを持て余し眉を下げる愛しい彼女の姿が入った。
一瞬の逡巡の後、跡部は彼女に向けて残り2枚のカードを裏向きに広げた。
「引けよ」
その言葉を受けて伸びた手は、しかしその目前で動きを止めた。
2枚の内片方が、どう見ても不自然に感じられる程の高さで彼女の指先に迫っていたからだ。
「え?」
困惑の声を上げた彼女の指に、未だじりじりと高度を上げながらカードが迫ってくる。
考え込むヒマもなく、彼女はとうとう指先に触れたそのカードを引いた。
次の瞬間。
「いやーーーーーーーーっ」
彼女は座り込んでいた床に平伏し、しくしくと嘘泣きだか本泣きだか判別は付かないが、顔を手の平で覆った。
そんな彼女の指に挟まれたままのカードは、ジョーカー。
「どうした、うれし泣きか?」
「『いやーっ』て、言ってんだから、それはないだろ」
得意気な跡部の言葉に、即座に突っ込みを入れたのは宍戸だった。
そんな言葉を聞いてるのかいないのか、彼女は起き上がるとともに素早く、そして不必要な程にカードを切り始めた。
そして。
「勝負!」
声と共に広げられたカードに宍戸は指を伸ばした。
8枚ほどの中から選び出した1枚は。
「くっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ジョーカーかよ」
そして宍戸もまたカードを異様なほどに切り始める。
その様子を見ていた跡部が、訝しげに眉をしかめた。
「どうしたん、跡部?」
「ジョーカーは・・・・・・・・」
オールマイティーだろ?と。
そう言う彼は、ゲームが終盤に差し掛かった今の今まで、このゲームの趣旨を理解していなかったらしい。
「・・・・・・・・・ババ抜きだぜ?コレ」
カードを切る手を止め、呆れ顔で宍戸が言うと。
「『ババ抜き』?」
そんな単語は今初めて聞いた、と言わんばかりの跡部が説明を求めて周囲を見回した。
「簡単に言うと、最後までジョーカー持っとるヤツが負け、っちゅうコトや」
説明する忍足に、聞いてねぇ、と不満をこぼす跡部。
そして、彼女は理解した。
自分の手元に渡ってきたジョーカーは、嫌がらせではなく彼の愛情だったのだということを。
『ジョーカー』
乾 貞治
昼休み開始を知らせるチャイムが鳴り、教室内には立ち上がった人間たちの話し声と出入りする人間の足音、そして開かれた扉の向こう側を行き交う人間の発する雑音が充満した。
一つ一つが明確に聞き取られる事は無く、ただザワザワと響いているその中から。
「お待たせ」
いつものように柔らかく切り込んできた彼の声に、彼女は顔を上げた。
そして立ち上がろうとした最中、彼の手元に見慣れないモノを見つけた彼女が口を開く。
「どうしたの、ソレ?」
聞かれた乾は学食へ向かったと思われる生徒の椅子を、机を挟んだ彼女の向かいに置きながら。
「作ってきたんだ」
と、言った。
「開けていいぞ」
その言葉とともに机の上に置かれた袋を、彼女が躊躇いがちに開けてみると、そこには大きな弁当箱が2つ入っていた。
「お弁当作ってきたの?」
「あぁ、お前の分もあるから安心しろ」
その言葉に彼女が歓喜の声を上げかけた瞬間、机の端に置かれた一つの水筒が異様な存在感を伴って目に飛び込んできた。
その中身が何であるか。わざわざ想像しなくともそれはもう日常と化したモノであって・・・・・・。
「お前の分もあるから安心しろ」
微笑んで水筒を差し出す乾に、彼女は頬を引きつらせながら必死で笑みを返した。
『手作り弁当+α』
越前 リョーマ
「あ、雪!」
開け放たれた窓の内側を指差す彼女に。
「いや、それただのホコリだから」
手に持った雑誌をパラパラと捲りながら、顔を上げたリョーマが言った。
「あ、ホントだ・・・・・・」
フローリングの床に落ちた小さな白は、空から舞い落ちて来たものではなかった。
「あ、ねぇ!」
気を取り直した彼女が窓の外を眺めると、そこには一羽の見慣れない鳥が居た。
「あんな鳥、見たの初めてだよ!」
瞳一杯に好奇心を浮かべて窓枠から半身を乗り出した彼女に。
「ハト」
背後から顔を覗かせたリョーマは事も無げに言った。
「・・・・・・・・・・・・・・灰色じゃないじゃん」
窓の外に居る鳥の体には白と茶の二色が混在して模様を作っていた。
だからハトでは無い、と不満気に主張する彼女に、もう一度リョーマは窓の外を見やってから口を開いた。
「ハト」
それに反論しようと彼女が口を開きかけた瞬間、窓の外からハト特有の鳴き声が聞こえた。
慌ててもう一度窓枠に手をかけ身を乗り出した彼女が目にしたものは。
「・・・・・・・・・・・・・ハトだ」
先程の白茶。そして、その動きに合わせるかのように聞こえてくる鳴き声。
「ていうかさぁ、なんで、いっつもそう突っかかってくんのよ!?」
突如湧き起こってきたらしい怒りをぶつけた彼女が、リョーマの手から雑誌を取り上げた。
「え、何?」
聞いていなかったらしいリョーマは、先程まで雑誌を持っていた方の手で、テーブルの上からお茶の入ったカップを取って一口すすった。
「だから・・・・・・・・・なんで、いつもそうやって私の夢を打ち砕くんですかっ?」
怒りを堪えながら、彼女が一言一言区切って言うと。
「さぁ、ね」
自分で考えれば?と、まるで他人事のように言い放ったリョーマは、目を眇めて意地悪そうな笑顔を作った。
自分は好きな事をしているクセに、彼女の関心が自分から他へ移ると急に不機嫌になる。
持て余した感情がそうさせるのだと、正直に言えば彼女は満足するのだろうかとリョーマは考える。
そして、やはり口を噤む。
こんな自分カッコ悪くてやってらんない、とリョーマがため息を吐く間にも、彼女の関心はまた窓の外へ。
『合いの手』