119は、SOS








SOS、SOS――――――――――








胸が痛くて、死にそうです。














119














屋上の扉が軋んで、
「・・・・・・・・どうしたん?」
見慣れた顔が、扉の向こうから現れる。
「フラれた・・・・・・」
涙は堪えられなくて、
「・・・・・・・・フラれた」
さっきから何度も繰り返した独り言をまた声にしたら、
「フラれちゃったよ・・・・・・・」
途端に胸が軋んで悲鳴を上げた。
「そらまた・・・・・・大事件やなぁ」
視線を少し斜めに逸らした侑士が口を開いた。
侑士が言葉を選ぶ時のクセ。
氷帝学園高等部、1年1組9番 忍足 侑士。
入学式の最中に私が貧血で倒れて以来、隣に並んでいたこのレスキュー番号の曲者は、私専用の救急車になった。
侑士は私の『SOS』を見逃さない。


「今度は誰や?」
そんな風に聞くのは、これが決して初めてというわけではないから。
「野球部の―――――――」
「神崎か」
いつの間にか、好みのタイプまで知られている。
「彼女が、いるんだって」
空を見上げようとしても、眩しすぎて、
「どうして、いつも・・・・・・ダメなんだろう」
目の前を見れば、侑士がいつもと同じ顔をして立っている。
そんな私に、少し視線を外して、また言葉を選ぶ侑士。
丸眼鏡の縁が太陽の光を反射して、光る。
「私が、ダメなのかなぁ」
俯いた私の前に、自分の爪先。
ローファーの上に落ちた涙が、また太陽を反射して、
「私じゃ・・・・・・・ダメなのかな」
光る。
「・・・・・・・・・」
どこもかしこも眩しすぎて、目を開けていられないから・・・・・・そっと、閉じた。














入学式を抜け出して辿り着いた保健室で、119をレスキュー番号だと言ったその女は、『 』と名乗った。
その日から、俺はの救急車の如き扱いを受けとる。
昼休みに学食で昼飯をつついてれば、が貧血で倒れた、だの
放課後の廊下を歩いてれば、が泣いてる、だの
わざわざ知らせに来る奴まで居って・・・・・・。
だけど、の目を見るとなぜか放っておけんようになる。
頼りなさ気に揺れるその目が探しとるのが、いつだって俺だけやってことに、気付いてしまったから。


いつも、ふとした瞬間に送られてくる、『SOS』。
それに気付けるのは、俺だけ。
そんな優越感に、少し浸りながら・・・・・・
今日も


『フラれた・・・・・・』


ええ加減、気付いてもえぇんちゃうか?


お前が本当に好きなんは・・・・・・・・・・・・・・・
俺だけ、やろ?














濡れた睫毛は、気付けば乾いて、
「目が重い・・・・・・」
瞬きをするたびに、パリパリと音を立てた。
「こすると腫れるで」
目を覆った私の右手を掴んで、侑士が言った。
「男なんて、星の数」
何度も何度も、横で唱えてくれた侑士の呪文。
「人生、苦もありゃ楽もある」
それを復唱して、私は笑った。
「だいじょーぶ。私は男なんかいなくても生きてける」
立ち上がって、伸びをして、大きく息を吸い込みながら、
「だいじょーぶ」
侑士がくれた言葉を繰り返せば、いつも通り元気が沸いてくる。
「ようやっと元気にならはりましたか?お姫さん」
「でた!エセ関西弁!!」
大きな声で笑いながら侑士を見ると、
「どこが『エセ』やねん!」
笑いながら、器用に怒った顔をしてみせた侑士が、私を捕まえようと手を伸ばした。
その手から逃げ回りながら、
「もー・・・・・・全部っ!」
言った瞬間、体がフワッと浮いて、
「今日という今日は許されへんでー!」
小脇に抱えられたまま、屋上を1周された。
グルグルと目まぐるしく変わる狭い視界に、
「ギブ!!」
そう叫ぶと、ようやく地面に足が着いて、
「すいませんでしたー・・・・・・」
私はもうこれ以上目が回る思いをするのはゴメンだから、素直に失言を謝った。
「でもさー、侑士は一体私のことなんだと思ってるわけ?」
そう言って侑士の方を見ると、侑士はキョトン、としていた。
「小脇に抱えて走ってもいい荷物とか?」
もしくはペット?と聞くと、侑士は少しも考え込む様子を見せずに
「俺が居らんとダメな子やと思っとるで」
当たり前やろ?なんて付け足されてしまいそうなほど、気合いの足りない顔でそう言った。
「・・・・・・・・・は?」
思わず聞き返したけど、脳裏でやまびこみたいに繰り返されるその言葉は、
『俺が居らんとダメな子やと思っとるで』
どうやら聞き間違えでは無いようで・・・・・・。
「私、別に侑士居なくても平気ですけど!」
「おーおー、さっきまで泣いとった子がよぉ言うで」
その言葉に反論を返そうとした瞬間、グラウンドから大きな声が響き渡った。
「忍足ー!てめぇ、早く来ねぇとグラウンド100周させるぞっ!!」
どうやら、もう部活の始まる時間らしい。
フェンスを掴んでグラウンドを見下ろすと、グラウンドの中央で仁王立ちしていた跡部としっかり目が合ってしまった。
「アイツ、どないな視力しとんねん」
「確かに・・・」
答えながら横を向くと、思ったよりも近くにあった侑士の横顔に、私の心臓が跳ね上がった。
「・・・・・・どうしたん?」
「いや、別に・・・?」
言いながらも、私は侑士から視線を外せない。
「そろそろ、俺が居らんとダメな子やて認める気になったんやないか?」
意地悪く笑った顔が、太陽の光に少し透けて見えた。
そのまま私に背を向けて屋上を出て行こうとした侑士が、思い出したかのように振り返って、
「あぁ、そや。・・・・・・お前、自分で思ってるよりも強くないで?」
大人しく俺に抱っこされとったらええんとちゃう?なんて、言うから、
「バーカ!!」
ローファーを脱いで、投げつけてやった。
だけど、ローファーがぶつかったのは屋上の扉で、
「ノーコン」
なんて言われた私は、急いでもう片方のローファーも脱いで、扉の中へ消えていく侑士を追いかけた。
階段の手すりにつかまって下を覗くと、3段飛ばしで階段を駆け下りていく侑士の姿がチラッと見えた。








どうしよう。


どうしたらいい?








119、119






今この胸に走る、


甘い痛みの理由を、聞いてもいいですか―――――――?










END