タータンチェックのスカートを、限界まで短くして。
ワイシャツの胸元を大きく開けて。
ネクタイは、いっそ外した方がいいと思うくらい、だらしなく引っかけただけで。
椅子にだって、まっすぐ座ったことなんてなかった。
『クラゲみたいなやつだな。』
馬鹿にするでもない、ただの感想が、少し笑った口元からこぼれる。
それに応えるわけでもなく、机についた肘に頬を寄せると、自然とまぶたが落ちていった。
『もぉダルい。』
呟いたあとに、わがままだな、と思う。
宿題のテキストを学校に置き去りにしてきたことを思い出したのが、すでに夏休みも終わりに近づいた今日のことで。
取りに行くことすら面倒がる私を自転車の後ろに乗せて、自転車から降りることすら面倒がる私の代わりに教室までテキストを取りに行ってくれて、どうせこのままじゃそのテキストを開くことすらしないだろうと言って図書館まで連れてきて、椅子に座らせて。
『少し冷えたか?』
宿題が終わるどころか始まりもしないのも、ダルイのも、ただのわがままなのに。
きちんと着ていれば体を覆ってくれる制服が隙間風だらけになってるのだって、自分のせいなのに。
『うちに移動するか・・・』
優しくて、うれしくて、頬が熱くなる。
あご下で切りそろえた髪を、わざと揺らして頬を隠して。
『ココアのみたい。』
そう言ってみれば、すぐに『じゃあ途中で買っていくか。』と応えが返ってくる。
隣にいるのが当たり前で、1日会わないでいる日なんかなくて。
それがなぜかなんて考えたことはなかった。
『、行くぞ』
引かれる手について行くだけでよかった。
考えるのが面倒だったからそれでよかったわけじゃないし、楽だったからよかったわけでもない。
手を引いてくれるのが貞治だったから。
それでもう、すべて、なんでもいいやと思ってた。
In a Dream
卒業を間近にして、顔を見ない日などなかった幼馴染と会う日が少なくなって、なぜだか考えることもせずにいるうちに卒業の日を迎え、幼馴染はアメリカの大学へ留学してしまった。
なぜ事前に話してくれなかったのか聞くこともしないまま、ただ失恋とも違う言葉にできない喪失感を抱えて。
会わないことが当たり前になって。
4年が過ぎた。
椅子にまっすぐ座るようになった。
面倒がることをやめた。
髪が伸びた。
甘いココアは飲まなくなった。
お酒を飲むようになった。
社会人になった。
言ってはいけない言葉が増えた。
地元を離れて、一人で暮らす部屋を借りた。
やらなきゃいけないことが増えた。
煙草を吸うようになった。
きちんと考えてから話すようになった。
考えて飲み込んだ言葉を、煙と一緒に吐き出して。
今、そうして一人で過ごしている。
*
仕事からの帰り道。
駅前のカフェの自動ドアをくぐると、熱気で蒸した体にエアコンの冷気が吹きつける。
汗が一気に引いていくのを心地よく感じながら、オーダーから1分も待たずに提供されたコーヒーを片手に、カウンターへと座った。
家はすぐそこだというのに毎日どうしても足が吸い寄せられるのは、程よく混んだ店内のざわめきの中に身を置いていたいからだろう。
言葉を交わす相手のいない私は、言葉の代わりに煙を吐き出しながら、今晩の食事の献立を考える。
あれこれ考えたところで、結局は家にあるものを適当に口にして終わるのだけれど。
昔と違って、そんな毎日を退屈だと思うことはなくなった。
だるいと思うこともなくなった。
変わりすぎて、昔の自分が思い出せないほど。
ふと気付けば冬が夏に変わっているほどに早い時間の流れの中へ身を置きながら、ただ少しだけ止まったまま動かないところがあるような気がする。
自ら思い返すことはほとんどないけれど、まれに突然幼い頃の自分に戻ってしまったかのような感覚に陥る。
背が高いのに背筋がピンと伸びているから、より高く見える人。
筋肉質なのに、手足が長くて着やせするからヒョロ長く見える人。
黒くて硬い髪の毛を、いつも短く切りそろえてる人。
黒いふちの眼鏡はレンズが厚過ぎて、その奥の目がよく見えない。
大きくてゴツゴツしたG-SHOCKを指差して、『あと5分だけだぞ』って全然起きようとしない私を待っていてくれた。
そんな、遠くへ行ってしまった幼馴染とよく似た人を見つけるたびに。
会わないのではなく、会えない。そんな日々の中、初めの頃はまるで、地面が突然消えてしまったかのような不安を感じていた。
そして今、ガラスの外に見える雑踏の中。よく似た背中を見つけたとたんに湧き上がってくるのは、やっぱり、あの頃と変わらない不安。
別人だとわかればすぐに消える程度の感情だからと、いつものようにその背中に違和感を探す。
そして―――――――
*
「知り合いか?」
睨んでいるといっても差し支えないほどにガラスの外にいる人物を見つめている幼馴染に、思わず俺はそう聞いてしまった。
数年ぶりの再会だというのに。
ゆっくりとこちらを見上げた顔は、昔のそれよりも少しだけ大人びていた。
「コーヒー、飲めるようになったんだな。」
の手元に、寒いくらいの店内でかすかに湯気を立てているコーヒーのカップがあった。
『苦いからいやだ。』
そう言っていた、心底嫌そうな顔を思い出して笑いそうになり、俺は手の平で口元を隠した。
「貞、治?」
信じられないものを見たかのような顔をしているに、俺は少しだけ、幼かったあの頃の自分の選択を悔やんだ。
「それ以外の誰に見えるんだ?」
ただ単純に驚いた顔をするだろうと思っていた。
予測とは違う複雑な感情を見せるに、俺は眉を寄せて。
「俺は化け物じゃないぞ?」
だから、口を開けたまま見上げて硬直するのはやめてくれ、と。
言い切る間もなく、は立ち上がり店外へと駆け出した。
追いつくのはたやすく、足を止めないの横に並んで歩けば、こちらを見ようとしないままが口を開いた。
「なんでついてくるの。」
笑顔で歓迎されると思っていたわけじゃない。
4年の音信不通。
毎日のように顔を合わせていた幼馴染にとっては、裏切りともとれるかもしれない。
約束なんてしなくても、春には桜を見に、夏は花火をして、大晦日が近くなれば年越しそばをどこで食べるか、初詣はどこへ行くかなんて話し合い、当たり前のように俺とは二人でいた。
俺にはしかいなくて、にも俺しかいない。
二人だけの日々は、今思い出せばどこか白く霞みがかって、まるで夢の中の出来事のようだ。
生まれ育った街、家。
何も変わらない、二人だけの世界。
それを不満に思ったことなんて一度もない。
だけど。
高校に入学し、中学の3年間熱意を傾け続けていたテニスもやめ。
俺が試合に勝つたびに、『やっぱり貞治はすごいね!』と、無邪気に笑ってくれたの顔を思い出すたび、俺は徐々に焦りを募らせていった。
に『すごい』と言われ続ける自分でいなければ、と。
大人になったつもりでいても、やはりどこか幼かった俺は、自分で自分を追い立てた。
そして、日本ではできないことがしたいと、そう言ってアメリカの大学へ進学することを決めた。
敢えてに何も言わずにいたのは、忘れられたくなかったからだ。
それを告げ、笑顔で見送られ、やがて俺がいない毎日が当たり前になる。
そしてやがて俺じゃない男が俺の位置に座り、のことを見つめるだろう。
忘れられたくないから、傷つけた。
離れている間も、俺を忘れられないように。
「謝りたいと、思ってな。」
小さくかすれてしまった声は、歩き続けるの耳にきちんと届いたかどうかわからない。
けれど、は足を止めた。
「悪かったと、思ってるんだ。」
本当なら、伝えるつもりでいた。
伝えて、待っていてほしいと、迎えに来ると、言いたかった。
けれど、言えなかった。
6時限目を終え、他に誰もいなくなった放課後の教室が並ぶ廊下。
夕方とは思えないくらいの日差しの中。
『乾を待っているのか?』
そんな言葉が聞こえ、通り過ぎようとしていた扉の中へ目を向けた。
その扉の中、窓際の席にはと手塚がいた。
二人はいくつか言葉を交わし、笑っていた。
鉄面皮とさえ言われる手塚の顔が、柔らかく微笑む。
が、俺や家族以外には見せないと思っていた気安い表情を見せる。
何を話しているのかは聞こえなかった。
だけど、手塚が立ち上がり。
『まったく、仕方のないやつだな。』
そう言っての手を引いたのを見て。
俺でなくとも、と。
自分にしか許されないと思っていたのは、俺だけで。
俺でなくとも――――――――
*
住宅街の隙間にある、大きな公園。
暗闇をポツリと照らす街灯のそば。
リーンリーンと響く虫の鳴き声が聞こえる。
そして横には、他の誰とも違う、貞治がいる。
「煙草なんて吸ってるのか。」
百害あっても一利はないというのに、と。
たしなめるような声に懐かしさを覚える。
「一番の話し相手が何も言わずにどこか行っちゃって、口がヒマだったんだよ。」
拗ねるような話し方。
幼い頃に置き去りにしてきたものが、あまりにも自然によみがえる。
「それなら良かった。もう必要はないな。」
その言葉に、心が期待に震える。
貞治は、私のそばに帰ってくるのだろうか。
昔と同じように過ごせるのだろうか、と。
「良い街だな。一人で住んでるのか?」
実家に行ったらお前がいなくて驚いた、と言ったその声は昔のそれより少し低くて、目の端に映る腕はたくましくなったように見えた。
私の返事を待つように、貞治はただ黙っている。
私が頷くと、一拍置いて貞治が口を開く。
「ボストンもな、良い街だぞ。」
昔と変わらないテンポを刻む静かな会話にようやく落ち着きを取り戻していた鼓動が、一気にフラットになったのを感じた。
そう。
良かったね。
だからなに。
なんて言えばいい?
何が正解かわからないまま、ただ呼吸が小さくなり、視線が落ちる。
「少し、広い部屋を借りたんだ。」
日本で暮らすために帰ってきたわけではないと告げて、私にどんな言葉を返してほしいんだろう、と。
いぶかしげに視線を送れば、貞治は変わらず穏やかな眼差しで私を見ていた。
「、ボストンに一緒に帰ってくれないか。」
*
早まったとは思っていない。
ただ、それだけを告げに日本へ帰ってきたのだから。
「俺はずっとお前のもので、お前もずっと俺のものだと、そう思ってた。」
違うなら言ってくれ、と不意に指先に触れた腕を軽く掴むと、の肩が揺れた。
「予測しうるすべての未来に、お前がいないものなんてない。」
ひざまずけと言うなら、ひざまずこう。
それほどに、かけがえのないものなんだと、お前に証明するために。
二人でいたあの頃は、まるで夢の中の出来事のようだ。
思い返せば白く霞みがかって、日差しを反射してキラキラと光る。
日本を離れて新しいことを学ぶ中で、ようやくわかった。
の笑顔を見るためには、何かに勝つ必要などないんだと。
ただそばにいるだけで、俺たちはあんなにも笑い合っていたのに、と。
「俺を、一人にしないでくれ。」
懇願してみせれば、俯いたが震えた声で言った。
「私を一人にしたくせに。」
言い訳することもできないから。
「もう、一人じゃないだろう?」
ただ、それだけ言って、記憶よりも細くて小さな肩を両腕で抱きしめた。
*
タータンチェックのシャツの袖を、大きくまくって。
タンクトップの胸元には、日本より強い日差しをさえぎるために買ったサングラス。
動きやすいゆるめのデニムは厚くも薄くもなく、肌触りが心地いい。
そして私は、どこまでも広がる芝生へまっすぐ体を投げ出した。
「クラゲみたいなやつだな。」
どこかで聞いた覚えのあるセリフが、少し笑った口元からこぼれる。
それに応えるわけでもなく、体を横に捻り。
「眠い。」
呟いたあとに、少し笑った。
目前に控えたプレゼンの資料をオフィスのデスクに置き去りにしてきたことを思い出したのが、ようやく取れた夏休みの最終日で。
取りに行くことすら面倒がる私を車の助手席に乗せて、車から降りることすら面倒がる私の背中を押してオフィスへ放り込み。
資料を抱えて出てきた私を。
「少し気晴らしして行くか」
ピクニックに誘ってくれた。
タコスとコーヒーの入った紙袋を揺らして、生い茂る森の中を歩き。
森を抜けて、視界いっぱいに広がった芝生の上でランチをして。
そして寝転び、目を閉じて背筋を伸ばす。
目を閉じると思い出すすべては、まるで夢の中の出来事のようで。
重ねる思い出がどれも夢のように思えるのは、貞治が一緒だからだと思う。
黒い髪が緩い風に揺れる。
うつぶせに寝転がって指先で触れていると、その指先が自分のそれより一回り大きな手の平に包まれた。
今日この瞬間も、思い出になって心の中へ積み重なっていくんだろう。
そして、夢の中の出来事のようだと、明日の自分は思うのだろう。
「、そろそろ行くぞ。」
私の指先を掴んだまま起き上がった貞治に手を引かれて。
そうして私も立ち上がる。
「資料をまとめるんだろう?図書館に寄っていくか。」
心地良い空気を引き裂くかのような言葉に。
「嫌なこと思い出させないで。」
私が思わず眉をしかめると、貞治が笑った。
引かれる手について、ここまできた。
手を引いてくれるのが貞治だから。
それでもう、ぜんぶ、なんでもいいや。
今日も私は、そう思う。
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久しぶりに書き始めたのでもっと短く終わる予定だったのですが、なんだか長くなりました。
データは嘘をつかないよ。とか、残念だがボール一個分届かない。とか言いたかったのに、ちっとも言ってくれなかった貞治さんです。
個人的には、なんかもっと気持ち悪い貞治さんが好きです。
授業中に指名されて黒板へ向かったヒロインに「教室内正答率85%の問いに、お前が不正解する確率は100%・・・」とか心の中で呟いててほしい。
とにもかくにも、読んでくださってありがとうございました!
では!アデュー!
2014/08/21 K