タイタニックごっこ
日曜の明け方、午前4時
突然かかってきた電話の、受話器のその向こうで
横浜へ行きたいと、言い出した彼女に連れられて
今、俺は、横浜に居る
「ねぇ、秀一郎?」
氷川丸を二人眺めて、さてそろそろ昼食でも・・・・・、と思ったその瞬間
「私、タイタニックごっこしたい」
彼女が、俺の長袖のジャケットの肘を、ツン、と引っ張って
「したいの」
上目遣いに、そんな可愛いコトを言いだすから
「しよ?」
俺は紅くなった頬に気付かれたくなくて、顔を逸らした
「きゅ、急に何を・・・・・・」
「するの!」
照れ隠しに発した、抵抗の言葉は遮られて
視線の先には氷川丸
タイタニックといえば・・・・・・な程、有名な、船上のあのシーン
「・・・・・・アレは、ちょっと恥ずかしいんじゃないか?」
「恥ずかしい・・・・・・?」
俯き、目に見えてしょんぼりしてしまった彼女に
「いやっ、そんなこともないかも」
しれないな、と慌てて続けようとした言葉は、すでに予測されていたかのように遮られた
「だよね!」
そして、どうやらもう、ソレは決定事項のようだ
「ちょっと待ってて!」
そう告げて、なぜか氷川丸とは逆の方向へ走っていく彼女に
帰還を待つこと十数分
「お待たせ!」
少し息を切らしながら、戻ってきたのは
彼女と・・・・・・・・・・・・どこから失敬してきたのか・・・・・・分厚い木の板
人が一人乗れるか乗れないか、といった大きさの板を、海へ臨むコンクリートの上に置いて
「レッツトライ!」
ちょっと待ってください
事情が良く飲み込めません
「ちょっと、ちょ・・・・・・・・・・・・・・・・・タイタニック?」
「Yap!」
俺の精一杯の問いに、元気良く肯定の返事を返してきた彼女が
真夏の向日葵のような笑顔を浮かべて言った
「さっさと沈め?」
・・・・・・初めて彼女の部屋を訪れた際に、肩を並べて観たその映画の内容は
隣から香った甘い彼女の匂いに思考を遮られていたせいで、よく覚えてはいないけど
救命ボートに乗り込むことも叶わず
二人、海に投げ出され
波間を漂う板を引き寄せて、ヒロインをその上に押し上げたジャック
一人乗るのがやっとの板の端に、自分は掴まって
固く握り合った手は、凍えて震え
やがてジャックの手から、体から、力が抜けていく
沈んでいく彼を追うヒロインの手は、ただ水飛沫を上げただけで
目を閉じた彼をやがて、深い海の色が隠していった―――――――
ひょっとして
「あの、ラストシーン・・・・・・・・・ですか?」
丁寧語になってしまうのは
できればそうじゃないといい、という思いと
できればどうか、思い直してほしい、という願いのせい
「はい、いくよー。ホラ、早く。『ジャーック!』て、できないじゃん」
丸っと無視された俺の言葉と、
少し海側にはみ出すようにしてはあるが、確実に安全圏である彼女の立ち位置(板の上)に
「ちょっ・・・・・・・・・」
異議申し立てを行おうとした、次の瞬間
俺を海上へ押し出そうとしていた彼女は、その動きを止めた
「あぁ・・・・・・秀一郎、ジャックじゃなくてタイタニックの役がやりたいんだ?」
ニコッ、と笑った両目は剣呑な空気を隠せないまま、俺の背筋を凍らせた
真っ二つに折って沈めてやる、と言わんばかりの彼女に、沈められる原因さえも思い浮かばない俺は
本当に・・・・・・・・・・・・・・どうしていいものかわからない
とにかく、話し合わなければ始まらない
原因を究明して、俺に非があるのなら謝ればいいのだ
そう思った俺は、彼女の肩に手を掛けて、口を開いた
「待て、少し話し」
合おう、と言いかけた言葉は、いつもより幾分か低い声に遮られ
「昨日のさ、アレ。だれ?」
彼女は笑顔のまま、俺を見上げた
「え?き、昨日?」
笑ってるのに笑っていない、そんな彼女の顔を窺いながら
「昨日・・・・・・・昨日?」
必死に思い出そうとするけれど
『昨日』の『アレ』だけじゃ、わからない
「え、何?昨日?」
慌てれば慌てるほどに、回転してくれない思考回路
「思い出せないの?」
「あ、あぁ・・・・・・」
「じゃあ、沈め?」
簡潔に、俺に選択肢を提示した彼女と
「ちょっと待ってくれ・・・・・・!」
徐々に近づく波の音を背後に、必死に抵抗を試みる俺
「安心しろ、骨はちゃんと拾ってやるヨ」
・・・・・・コイツは、俺をどこまで沈める気なのだろうか
「ちょっと・・・!」
「大丈夫、3日くらいは喪に服してあげるから」
それはいくらなんでも短すぎるんじゃ・・・・・・・・・・・・じゃ、なくて
「ちょっと、待て!」
この言葉に、彼女はようやく耳を貸した
「『待て』?」
「待って・・・・・・・ください」
鋭い視線を向けられて、思わず言い直した後
必死に記憶を手繰り寄せるが・・・・・
一人で過ごしたはずの昨日
近所のコンビニに行ったくらいで、それ以外は外出もせず・・・・・・・・・・・・
「もういい、とりあえず沈め」
「ちょ、待っ・・・・・待っ・・・・・・・・・待っ」
てください、という言葉を発するより先に、俺の体は着水していた
冬の海水と、周囲の視線は
チクチクと痛むほどに、冷たかった
そして、海水で冷えた頭はようやく回転をはじめ、
俺は、コンビニからの帰り道で若い女性に道をたずねられたことを、ようやく思い出したのであった
雪かき
『暖冬』なんて言葉が嘘のように
今週の頭に降った雪は、東京でさえ積雪量1.5mを記録した
埋まって身動きの取れなくなる生徒が続出したせいで押し付けられた、
陽の当たらない、つまり、いつまでも雪が溶けることのない裏庭の雪かきも
彼女と二人きりなら
ちょっとした、ラブイベントになる
「雪、重っ」
スコップに載せた雪を、意味も無く肩の高さまで持ち上げてフルフルと震えてるその姿が
あまりにも可愛らしくて、俺の喉から小さく笑いが溢れた
「ちょっと、笑ってないで、雪、かきなよ!」
「あぁ」
そんな他愛ないやり取りでさえ、楽しくて仕方がないのは
二人きりというシチュエーションのせいだ
「そこ、全部終わるまで秀一郎とは口きかないからね!」
プイ、っと横を向いた彼女の言葉に、俺は「ハイ、ハイ」と答えて苦笑した
それに対する返事は無く
背中を向けて作業を再開した彼女の横には、小さな雪山
小さな体で一生懸命雪を退ける彼女に習って、俺も再びスコップを握り直した
黙々と作業を続けていると、いつの間にか俺の横には大きな雪山ができていた
一息つくのとともに視線を少し彼女の方へ向けてみると
そこには、まだまだ小さな雪山と
頬を赤く染めながら、スコップを動かし続ける彼女の姿
机を投げ飛ばしたり椅子を投げ飛ばしたり俺を投げ飛ばしたり、そんな彼女だけど
やっぱり女の子なんだな、なんて
思いながら緩む頬を堪えきれずにいると、その気配を察したのか、彼女が振り返った
俺に向いた視線は、次に俺の横の雪山へ移り、そして彼女自身の横にある雪山へと流された
そして、
「サボってないで、早くやれ!」
腰に手を当ててそんな風に言って見せた彼女は、
また、プイ、と顔を背け、すごい勢いで雪を掘り返しはじめた
その様子を見て俺が笑っている間にも、小さかった雪山はどんどん大きくなっていく
そういう単純な所が、可愛いなぁ、なんて
思ってるってことがバレたら、彼女はきっと烈火の如く怒りはじめるんじゃないだろうか
「さて、俺も・・・・・・・・・」
はじめるか、と雪山に挿してあったスコップを握りかけたところで
ザシュッ
すでに地面が見えかけていた雪の穴の中に、彼女の居る方向から雪が飛んできた
それは二度、三度と繰り返され
次第に、見えかけていた地面は再び雪の下へと埋まってしまった
「コラ」
笑いながら、飛んできた分の雪をすくい、投げて返すと
再びその雪は宙を舞い、俺の方へ返ってくる
高く投げられた雪の落下地点は先程とは少しズレて、今度は俺の上に
「冷たっ・・・・・・・」
コートの衿元から服の中へ入り込んだ雪が思いの外冷たくて、思わず声を上げると
途端に彼女の楽しそうな笑い声が響いた
お返しに彼女の足元へ雪を投げると、それをヒラリとかわして彼女はまた笑った
そして再び雪を高く放り投げる
俺はそれをかわしながら、また彼女の足元を狙って雪を投げる
そんな恋人同士の甘い戯れは、
「うわっ・・・・・・・・」
俺が投げた雪を避けた拍子に、足を滑らせて自らが掘った穴に落下してしまった彼女の、
マジギレとともに、終わりを告げた
「大丈夫か?」
言いながら手を差し出すと、
「・・・・・・・・・・・チッ」
不穏な舌打ちと
「・・・・・・・・・・・なんかさぁ」
前髪に隠れて見えない表情
俺の手を握って穴の中から出てきた彼女は、口を開き
「私いま、すっごい雪だるま作りたくなった」
突然俺は、彼女が先程落下したその穴へと蹴り入れられた
かろうじて転ばずに着地できた、と思った途端、今度は大量の雪が頭上から降ってくる
「おいっ」
腰までをスッポリと覆い隠す穴の中で、急速に足場を固められ身動きが取れなくなった俺は
「これは雪だるまの作り方じゃないと思うぞ?考え直せ!」
と、とりあえず説得を試みたが
彼女はそんな俺を無視して、雪山から切り崩した雪をせっせと俺の周りに運んでいた
そして、数分後
俺は首から下を、円を描くように積まれた雪の中に浸かり、まったく身動きが取れなくなっていた
「雪だるま、完っ成!」
満足気な彼女が
「さて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰ろっと」
小さく呟き、背を向ける
「ちょっ、待っ・・・・・・・・・・・」
俺の声に、微かに振り向いた彼女は俺と視線も合わせぬまま
「アバヨ」
人差し指と中指だけを立てた手で、軽く敬礼の仕草を真似た
街が鳴らす『ふるさと』をBGMに、去ってゆく後ろ姿はまるで西部劇のようだった
そして、その後
俺は偶然通りかかった手塚により、ようやく雪の中から救出されたのであった
ボーリング
『勝ち』とか『負け』とか
気にしてるのは、私だけで
いつも笑って、私の先を歩く
そんなキミが、今
すごくムカつく
『 S T R I K E 』
天井から吊られたディスプレイに、チカチカとうるさく点滅する文字を見て
「チッ・・・・・・」
小さく舌打ちすると、耳聡い秀一郎はソレを聞きつけたようで
「どうした?」
どうもしてませんよ、別に
目をそらしかけたディスプレイが元の画面に切り替わったことを察して、再び視線を戻せば
並ぶスコア
『囚一牢』って、私が用紙に記入した通りの名前を表示したその横に並ぶのは
あの、砂時計横に倒したような、アレ
私の名前の横には
G、G、G、G、G・・・・・・・・・1、G・・・・・・・
「しかし、お前『囚一牢』って・・・・・・・漢字わからなかったなら、俺に聞けばよかったのに」
苦笑しながら、穏やかに諭してみせるその姿勢が
私を増長させてるんだって、いつになったら気付くのかな
「うん、ごめんね?」
まぁ、とりあえず当たり前に、わざとだけど
8投目、すでに負け決定
いつもの如く敗者な私
許されるのは、その程度の他愛ないイタズラだけ
諦めを纏いながら、レーンの先に並ぶピンに向かって立つと
「お前、右手首捻る癖直らないなぁ」
指導員気取りで斜め後ろに立った秀一郎が、私の肘に手を添えて言った
カーブなんかかけてないのに、どうしてかいつも右に曲がる球
それを見て、性格が如実に表れてるって笑った友達
付き合い始めてから、何度も何度も通ったこのボーリング場
5投目くらいから、いつも下がり始める私のテンション
それとともに、私の機嫌を取り始める秀一郎
順調に伸び続ける連敗記録
そして、私にいつの間にか搭載されてた
秀一郎限定の予測変換機能
絶対に次は、『左を意識して投げた方がいいぞ』
「ひだ・・・・・・」
「チッ・・・・・・・・」
苛立ちに身を任せて思い切り投げつければ
『 S T R I K E 』
今世紀初のストライク
「やったー!!」
集まる視線も気にせずに喜んでいると
ピーンポーンパーンポーン
『4番レーン・・・・・・お連れ様が詰まってます』
ちょっと間の抜けた館内放送とともに、
ピンに埋もれた秀一郎が起き上がって、私の方を見た
微かにザワついた周囲を十分に意識しながら
「秀一郎ー!ごめん、まちがえちゃったー」
私は、ゆっくりはっきり発音する
まぁ、とりあえず当たり前に、わざとだけど
やっぱり、苦笑しながら私を見てる目は穏やかで
その姿勢が、私を増長させてるんだって
そろそろ甘やかすの、止めた方がいいんじゃない?
なんて
私が言えたコトじゃないけど、サ
かまくら
先日、無実の秀一郎を海へ沈めてしまったお詫びに
今日、私は
雪の積もった学校の裏庭に作ったかまくらへ
秀一郎を招待することにしました
「ガスコンロ、オッケ・・・鍋、オッケ・・・器、コップ、オッケ・・・おたま、菜箸、割り箸、オッケ」
大切なことは指差し確認で
テニス部のマネージャーになってからの癖
合宿や大会で出かけるたびに、頭の中がしっちゃかめっちゃかになってパニクってる私に、秀一郎が教えてくれた
いっこいっこで良いんだよ、って
目の前のことから、ひとつずつこなしていけば、いつの間にか全部終わってるはずだから、って
タメのくせに上から発言かよ、とか、可愛くないことを考える心の隅の方で、一度だけ心音が跳ねた
誓って、一度だけ
でも、それから
カラカラカラッカラ、コートを鳴らしてボレーを打つたびに、コート傷むからやめてくれませんか、とか
「ムーンボレー!」とか、なんでわざわざ宣言してるの?とか
その2本の触覚で、一体なにを感知してるの?UFO呼んでるの?とか
大切な大会の日に、人をかばって怪我をして――――――ばっかじゃないの、とか
気付くと、目が秀一郎を探してて
イラっとくるから目を閉じれば、今度は秀一郎の声しか聞こえなくなる
いちいち目に付いて、腹が立つから秀一郎にそう言ったら
真っ赤な顔で、「うれしい」って、言われた
意味がわからない、けど
その日から、私は秀一郎の『カノジョ』になった
「待たせた、かな?」
腕時計を見ると、2分の遅刻
いつもならこぶしが唸ってるところだけど
今日の主旨はお詫びなので
「ええ!」
激しく頷くだけに留めて
「そこに座って」
職員室から失敬してきた担任愛用の低反発クッションの方を指差した
これでも急いで来たんだけど、とか
職員室の前を通ったら担任に呼び止められて、とか
アレ?これ、もしかして先生が探してた・・・・・・・、とか
ボソボソ言ってる秀一郎のことは軽く無視して、私はクツクツいってる鍋の様子をうかがった
「なぁ、もしかして、コレ職員室から――――――」
ガタガタしつこいなぁ
『言い訳なら聞きたくない』って、どっかの(43)も言ってるじゃないか
『クールであれ』とか『タイトであれ』とか、無理なことは言わないから、とりあえず
「ちょっと、黙って?」
私は一度だけ秀一郎の方に視線を向けてそう言うと、鍋に向き直って、そのふたを外した
湧き上がった蒸気はかまくらの中に霧散して、中から現れたのは私の自信作
「うわー!美味しそうだなぁ!」
当たり前だ
去年の12月、鍋にハマって、日夜研究に没頭した末に出来上がった『塩ちゃんこ』
完成した時には、すでに春を迎えていた
シンプルに、そして豪快に
素材の味を最大限に引き出すためには――――――
「あれ?汁は透明なのか?」
「塩鍋だからね!」
塩がベストでマストなのだ
最後に胡麻油で香り付けして――――――
「へぇー!珍しいなぁ、うちではいつも味噌鍋なん―――」
だよ、と最後までは言わせない
「味噌?」
味噌って言ったか、今、と
「あ、あぁ」
肯定の言葉が聞こえるが早いか遅いか
私は思わずちゃぶ台をひっくり返しそうになった
が、その上で美味しそうに湯気を立てている塩ちゃんこに、少し思い直し
「味噌鍋の方が、良かった・・・・・・?」
よくよく考えれば、鍋の味付けなんて千差万別
人の好みしだいだ
私は塩ちゃんこがチャンプだと思ってるけど
秀一郎は――――――
「味噌が良かった・・・?」
脳裏を巡るのは、きっとくるであろう未来で
私は今のところバラ色に違いないと思ってるけど――――――
一日の仕事を終えて帰ってくる秀一郎
鍵を持ってるくせに、いつもチャイムを鳴らして
めんどくさっ、て言いながら私がドアを開けると、そこにはパンチを繰り出したくなるくらいの笑みをたたえた秀一郎が居て
秀一郎が買って来たフリフリの白いエプロン姿で出迎えた私に、「ただいま」って言いながらキスをする
ダイニングには、もうそろそろ食べごろの塩ちゃんこ
待ちきれずに鍋のふたをはずした秀一郎は――――――
「なして味噌じゃなかとねーっ!」
「ど、どうした、!?」
立ち上がって声を荒げた私に、秀一郎も慌てて立ち上がる
「・・・どうしたんだ?」
かまくらの入り口から遠慮がちに声をかけてきたのは、同じテニス部3年の乾だった
左手にはいつも通りデータノートを持ってる
表紙にまる秘マークのついたそれの中身を、絶対に一度は見てみたくて何度もトライしてるけど、成功した試しはない
手放した瞬間を狙うのが一番だから、試合形式の練習中にわざわざ機会を狙ってコートの周りをウロウロしてみたりしてるのに、
なぜかいつも邪魔が入る
「なにかあったのか・・・?」
データノートを食い入るように見つめてる私に事情を聞くのは諦めたのか、乾は秀一郎に向かってそう尋ねた
「いや、俺も何がなんだか」
わからない、と
諸悪の根源の秀一郎が言うのを聞いて、私は声を上げた
「秀一郎がちゃぶ台ひっくり返すんだもんっ!」
思い返しただけで、少し涙がにじむ
「ちゃぶ台は・・・・・・無事なようだけど?」
乾は怪訝そうな顔をしながら、私の背後を指差した
振り返ってみれば、そこにはちゃんと立ったちゃぶ台と、変わらず美味しそうに煮えている塩ちゃんこ
「これから・・・・・・・ひっくり返す、予定?」
我に返って、頬が赤くなるのを感じながら私が言うと、乾はいつもの無表情に戻り
「がんばれ」
秀一郎に一言残し、校舎の方へ去って行った
「なぁ、?」
静まり返ったかまくらの中
鍋がクツクツと沸く音が小さく響く中で
「俺が楽しみにしていたのは、が作ってくれた鍋なんだぞ?」
塩ちゃんこでも味噌でも、それは関係ないんだ、って
「美味しそうに見えるのは、きっとが一生懸命作ってくれたからで」
それが、何よりもうれしいんだ――――――そう言って、目を眇めて笑う顔は
いつも、私よりもずっと大人に見えて
悔しくて
素直になんかなれないのは、いつだって秀一郎のせいだ
付き合い始めた頃は、私が泣くとオロオロとうろたえるから、事あるごとにわざと泣いてみせた
だけど、それにも次第に慣れて、最近は泣くことに集中している私の肩をいつの間にか抱き寄せていたりして、
油断ならない
甘やかされて、牙を抜かれて、せっかく磨いだ爪も短く切られて
それで放り出されたら――――――
いつか一人ぼっちにされる日を想像して
そんなのは怖すぎるから、今も警戒を解けない
沈めて投げ飛ばして埋めて、それでも追いかけてきてくれるって
いつでも確認していなきゃ不安で
「なぁ、?」
大きな手の平で両頬を包んでくるから、目もそらせない
「好きだよ」
余裕をたたえて、目を眇めて笑って
そんな秀一郎の顔を見て、跳ねる自分の心音に
腹が立つ
「うそつき」
私の言葉に、少し吹き出して
「うそじゃないよ」
答える表情も、余裕しゃくしゃくだ
信じたら
それで、もし裏切られたら
そんな風に考えるのは
人一倍怖がりな自分のせいだって、わかってる
けど
信じられない
信じたくない
悔しいくらいに
秀一郎だけが、好きだから
HAPPY END ?