乾氏による(間違った)性教育の成果
新婚生活も二月目に入った土曜の昼下がり。
俺はを連れて、近所の公園まで来ていた。
「そろそろ子供が欲しいよね」と言うに、もう少し二人きりのこの時間を満喫していたい、と思いながらも「そうだな」と頷いた、その時。
「そういえばさ、妊婦さんのお腹が大きくなるのって・・・なんでなのかな?」
貞治、知ってる?と、が首を傾げた。
想定外のその問いかけに、俺は答えることも忘れて呆然としてしまった。
「やっぱり貞治にもわかんないかー。私さぁ、きっと何か良いものを詰め込んでるんじゃないかと思うんだよね!」
確信を得た、と言わんばかりのその満面の笑みに、俺は否定することも提言することもできずに、頷いた。
「あ、あぁ・・・・・・・良いもの・・・?そう、だな・・・・・・」
良く考えてみるんだ。
確かに、そこに入っているのは『良いもの』と言って差し支えのない物じゃないか。
そうだ。間違ってはいない。
まだ・・・・・・訂正するのは、まだ早い。
人間というのは、考えることで成長するんだ。
そうだ、もう少し待とう。
「だよね!だってさ、遠い所をわざわざ運んで来てくれるんだから、御礼くらいちゃんとしないとダメだもんね!」
・・・・・・・・・・それは、腹に詰め込んだものを礼に差し出す、ということか?
の成長のためだと思いながらも、脳内を飛び交う大量の疑問符は、容赦なく俺に襲い掛かってくる。
まず・・・・・・・・・・何に、御礼をするのか。
そして・・・・・・コイツは、本当に俺と同じ年齢なのか。
20くらいサバを読んでいるんじゃないか?
いや、それはありえない。
同じ年に生まれ、幼馴染みとして育ってきた・・・・・はずだ。
同じ幼稚園、同じ小学校、中学校、高校、大学、を経て、今こうして隣に居るのだから。
「あ、食べ物かも!長旅でお腹すいてるかもしれないしさ!」
・・・・・・・・・何が、腹をすかしているのか。
お前が、わからなくなりそうだ・・・。
なぜ、こうも俺の予想外の言葉ばかりが飛び出してくるのか。
俺にわかる言葉で話してほしい、と思うのは俺の勝手な言い分なのだろうか。
いや、俺はのそういう所を好きになって、こうして結婚したのだろう。
そうだ。
俺はお前のそういう所も含めて、お前を愛している。
・・・・・・はずだ。
日本語というのは、最後まで聞かなければ本当の意味を理解することのできない言語だ。
最後まで聞くのが礼儀というものだろう。
日本人として生まれたからには、日本人の礼儀を全うすることにしよう。
いや、するんだ!
「でもさでもさ、コウノトリって何食べるんだろうね!」
なるほど・・・・・・・・・・コウノトリか!!
やっと出てきた答えに、俺はホッと胸を撫で下ろすと口を開いた。
「」
俺の呼びかけに、は「なになに?」と目を輝かせた。
自分の提示した問題の答えが返ってくる、と思っているらしいその様子に、俺は少し胸が痛むのを感じながら、
「それは迷信だ」
一息に言い切った。
「・・・・・・・・・・・・・・・え?」
聞こえたのか聞こえなかったのか脳がその言葉を拒否したのか、は「え?え?」と繰り返した。
そして、俺は思い出した。
『大きくなったら貞治のお嫁さんになる!』
砂遊びで汚れた顔のまま、スコップを片手に大きな瞳をキラキラと輝かせたが俺にそう断言したのは、幼稚園の年長組の頃のことだった。
『じゃあ、俺はを養うために頑張って働かないとな』
そう答えながら、の頬についた砂を拭って。
『子供は、できれば二人以上欲しいな・・・・・・』
ふと思った考えは、気付けば口をついて出ていた。
『そうだね!・・・・・・・でも、赤ちゃんてどうやったらできるのかなぁ?』
首を大きく傾げるに、やっぱりコイツには俺がついていないとダメなんだな、なんて思いながら。
『赤ちゃんはね、コウノトリが連れてくるんだよ』
俺は―――――――――――――――そう言った。
もしかして、それが原因なのだろうか。
「・・・・・・覚えてるか?・・・幼稚園の――――――――」
「貞治が教えてくれたんだよね、コウノトリのこと!」
やはり、俺が原因・・・・・・か?
いや、そんなはずはない。
いくらなんでも、幼稚園に通っていた頃の話だ。
その後の保健体育の授業で子供ができる仕組みの事は何度も教わっているはずだ。
そうだろう、!?
「そういえばさぁ、中学の保体の授業でさ」
俺は自分が間違っていないことを確認すべく、の言葉に真剣に耳を傾けた。
「赤ちゃんはコウノトリが連れてくる、って言ったら先生が『保健室行って休んでこい』って!ひどいと思わない?」
――――――――思わない。
それだけは断言できる。
しかし、それでなぜ気付かないんだ、お前は。
というよりも、職務怠慢なんじゃないか、体育教師。
いや、そうじゃない。
コイツの面倒を見きれるのが俺だけである、というだけの事だ。
何を錯乱しているんだ、俺は。
冷静になれ。冷静になるんだ。
「あのな――――――――」
「そういえばさ、結局コウノトリって何食べると思う?」
冷静ゆえに抑えた俺の声は、の大きな声に遮られた。
「それは――――――――」
「それは?」
の瞳がキラキラと輝きながら俺を見つめる。
それは、あの日とまったく変わることがなく。
一点の曇りもないの瞳は、俺だけに向けられて――――――――
「・・・・・・・魚、じゃないか?」
「魚?なんでなんで?」
「元々は渡り鳥だった、からな・・・」
だから、魚なんじゃないか?と答える俺の声は、微かに震えていた。
負けた。
昔から俺は、にその目で見つめられると、弱いのだ。
俺だけを一心に見つめるがとても愛しくて、その期待を裏切ってはいけないような気になってしまう。
「そっかー!やっぱり貞治は頭いいなぁ」
照れたように笑う横顔に、俺はもう何も言うことができず。
ただ、一言だけ。
(他の人間の前では絶対に言わないでくれ――――――――)
そう、心の中で呟いた。
いや・・・・・・・・・・・祈った。
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